Wen-Chon Liang 2015

2015年 ツアープレーヤーNO.1
梁津萬 (リャンウェンチョン)

待ちわびた日本での初優勝は、何よりのタイトルになった。中国の雄が、参戦12年目の日本でやっと、栄冠をつかんだ。梁津萬 (リャンウェンチョン)が今季のツアープレーヤ-NO.1の座についた。

今その謎が解き明かされた。「世界であれほどの実績がありながら、なぜいまだに日本で勝てないか」。そう問われ続けたここ数年。「今もこれと言うのは難しい。でもきっと、その原因は心理的なもの」。世界各地で勝ち星をあげながら、なぜか日本は万年2位で自信喪失。「勝ちたい、勝ちたいと思うほどに、色々なことを考えてしまうものですよね」。

この日も接戦のまま迎えていたら、分からなかった。「昨日のリードがなかったら、また勝てなかったかもしれません」。3日目からの一人旅。それでも「正直、眠れなかった」と、睡眠不足のまま迎えた最終日は1番から大絶叫だ。宍戸の森に、響き渡った「フォア~~~!」。ティショットを左の林に打ち込む大ピンチ。157ヤードから、9アイアンでピンそばにつけて、一転チャンスを奪うしたたかさも、次の2番でまた左へ。ティショットに安定感を欠いて、再三「フォア!!」と叫び続けた最終日。

8打差の大量リードで折り返したバックナインも12番で「フォア!」。14番でも「フォア!」。それでもめげずにまた、15番でドライバーを握れたのも、ミスをカバーしてあまりある切れ味鋭いアイアンショットとパッティング。そして何より「スコアに余裕があったから」。大量リードを生かして逃げ切った。481ヤードと距離があり、グリーン手前に池が横たわる宍戸の魔の17番パー4。深いラフから冷静に刻み、3打目勝負でボギーにとどめ、ようやく夢にまで見た日本での初勝利が、現実味を帯びた。圧勝のウィニングパットに「これでやっと、優勝しましたと言えますね」。もうこれからは、なぜ日本で勝てないのかと、聞かれずに済むのも嬉しい。

世界を股にかけ続けた12年。「日本で勝てなかったのは、アジアやヨーロッパとの掛け持ちで、スケジュール的に無理をしていたせいかもしれない」。日本に腰を据えると決めた今季、5年シードの日本タイトルが、何よりその実力を証明した。「これからは、もう少しスケジュールにも融通がきくし、大きな選択も出来るようになる」と、アジアの雄にはさらに羽ばたく糧になる。

日本では11年もかかってしまった初Vも、世界はとっくに認めていた。全英オープンを主催する、英国ゴルフ協会「R&A」の親善大使はハリントンと、女子ならソレンスタムに次ぐ3人目の就任だ。2013年にアジア選手として初の大抜擢という栄誉。評価されたのは、実績だけではない。ルールとマナーを重んじる協会が、大使の資質としてどんな人材を求めているか。想像に難くない。デビュー時からクラブ契約を結ぶホンマゴルフのスタッフ、鄒萌穎(しゅう もえ)さんが言う。「彼は練習の鬼」。一度、練習場に腰を据えたら納得するまで、帰らない。「あれだけ人に、気を遣う人もいない」。遠征中は必ずスタッフを食事に招き、自ら皿に選り分け、飲み物を振る舞う。母国に帰ればスーパースターだ。「日本でいうなら、遼くんみたいに」。あっという間に取り囲まれてもみくちゃになる。「でもどんなに疲れていても、彼が嫌な顔をしているのを見たことがない。必ず最後の一人までサインして、いつも笑顔を絶やさないんです」(鄒さん)。

08年に起きた中国四川省の大地震では、いちはやく被災地に400万ドルの小切手を送金した。声高にアピールすることはない。それでも、まだお金もあまりない駆け出しのころから慈善活動には熱心だった。自分のプライベートを無用に語ることも、ほとんどないから鄒(しゅう)さんも、奥さまの兼嘉恵(SIUKAWAI)さんが、現在4人目のお子さまを妊娠中というのを今週、初めて知って驚いていた。「彼に奥さまがいることすら、知らない人もいて。梁(リャン)さんって、結婚したのって、驚くスタッフもいるんですよ」。無理もない。今週も応援に来て、日本で初優勝の瞬間を見届けた奥さまは、「ぜひ一緒に写真を」と、勧めたスタッフにも静かに微笑み、「私のお腹はこんなですし。後ろで見ているだけで十分なのです」と、とうとう人前には出てこなかった。夫婦揃って控えめなのだ。

その実力、人柄ともに絶大な人気を誇る中国の雄。この優勝で、賞金ランクは1位に浮上。開幕戦からスタートした日本予選シリーズのランキングでも1位につけて、来月7月の全英オープンの出場権も手に入れた。今年は、5年の1度のセントアンドリュースはまさに発祥の地で、大使として何よりの広報活動も出来そうだ。

今年37歳。ともに日本ツアーで活躍する後輩の呉阿順ら、まだ始まって30年余と、歴史の浅い中国プロゴルフ界でも後継者が育ちつつあり、実に112年ぶりに、ゴルフ競技が復活する来年のリオ五輪も「若い者たちに」と、代表の座も快く譲るつもりでいたが、この日本での初勝利で、ふいに第一人者としての欲も出てきた。「ぜひ挑戦してみたくなりました」。

日本に来て11年。「良き友人も出来て、中国人の僕のことも、快く受け入れてくださって。いろいろと経験もさせてもらってここまで来られた。日本ツアーには、本当に感謝している」。尊敬する選手は藤田寛之だ。「あの年齢で、あれだけ頑張っている大先輩。藤田さんを見ていて僕も、藤田さんのようにこれからも長くゴルフ人生を歩いていきたいと思うようになりました」。2007年のアジアンツアーと、2010年のワンアジアツアーの賞金王は、日本で初の王座獲りについても、「とても魅力的な話」と待望の1勝を機に、興味津々。「これからも日本でゴルフをすることで、中国との架け橋になれたら」。ゴルフの聖地も認めた、親善大使たるゆえんである。

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