Yosuke Tsukada 2016

2016年 ツアープレーヤーNO.1
塚田陽亮

最終組の4つ前で上がった時点でただ一人のアンダーパーには、ただただ達成感だけがあった。「一瞬たりとも油断出来ないコースで、最後まで集中してゴルフが出来た」。最終組の谷原が15番で劇的イーグルで一度は並ぶもそこから連続ボギーで、塚田が再び1打リードも、勝負の行方うんぬんよりも、「ただ自分で自分を褒めたかった。そういうゴルフが出来て幸せだった」。

2008年のプロ入り当初は30歳で、ツアーに出場するのが夢だった。それが、31歳の今年はすでにシード4年目にして、ツアー初優勝のメジャーVを飾った。大会のジンクスも踏襲した。勝てば5年シードのツアープレーヤーNO.1決定戦は、これで6年連続でツアー初勝者を生んだ(※)。

谷原の最終ホールを待たずにいったんクラブハウスに戻ったのはトイレが我慢できなかったから。用を足して出てきたら自分の優勝が決まっていて、大勢の人たちから祝福されて「涙が4粒くらいこぼれた。ここで泣いておいて本当に良かった」。でなければ、テレビの優勝インタビューで号泣して「NHKの方を、困らせていたと思う」とそんな表現で、胸一杯の喜びを表した。

上がってすぐのアテスト小屋で、同組の矢野が「あんなこともあるんだね」と言ったのは、朝の1番のことだ。自称「小心者」は、「何年たってもスタートだけは緊張する。今日も足が震えていた」。グリーン奥からのアプローチは意外とラフが深くてトップして、みごとにホームラン。「あれで、今日の陽亮は終わったと思った」と振り返った矢野は、塚田の次の4打目に今度は目を剥いた。7ヤードのチップインパーで首をつなぐとさらに3番では20ヤードをまた外から入れて、2番からの連続バーディで塚田はV争いを始めた。

今年は、JGTOの新会長に就任した最初の主催競技で、青木功が目指したのは「攻めた人には攻めたなりの報いがあるが、逃げればパーを獲るのも難しい」。そんな世界基準のセッティングは、これまた自称「ドM」の塚田には、うってつけ。「いろんなことを試される。今日もドMでゴルフをしようと思った」。まさに、サディスティックなコースでツアー初優勝を飾って、マゾヒスティックな性格を印象づけた。今週、久しぶりにタッグを組んだプロキャディの梅原敦さんとも「こんな気持ちでやれるなら、まだ9ホールは行ける。めっちゃ楽しかった」と上がってもまだ笑い合う余裕すら、残っていたくらいだ。

8番のボギーでは、ふて腐れた塚田を叱ってくれた梅原さん。「そんな顔ではゴルフの神様は微笑まない」。気が引き締まった。「今日は笑顔でやろうと思った」。3日目の15番では「ここで逃げてちゃダメだろう」と厳しく梅原さんに、無理に持たされたドライバー。「今日もまたか」とこの日の15番でも内心ビクビクしていたが、そんな選手の心境を察して最終日こそ、塚田の最大の武器といってもいい「2アイアンをスっと持たせてくれた。梅原さんには凄く助けてもらった」。難コースでこそ息を合わせた2人に、宍戸の女神は微笑んだ。

こちらも恩人のプロコーチ、堀尾研仁さんと契約を結んでちょうど1年。「でも陽亮のことは、小6の時から知っている」。10歳からゴルフを始め、地元長野から群馬の新島学園に越境入学してきたのは、堀尾さんがいたゴルフアカデミーに通うため。
「当時から小技は上手かった。でもけっして今のように、飛ぶ子ではなかった」(堀尾さん)。
中1で群馬県ジュニアを制して中3で単身渡米。米フロリダのIMGアカデミーで腕を磨いて4年半。「英語を覚えるだけでも必死なのに勉強出来ないと、ゴルフはさせないぞというような」(塚田)。そんな厳しい高校生活に懲りて18歳で帰国。久しぶりに再会を果たしたときには、堀尾さんも見違えるほどの飛ばし屋に変身していた。

この日は最難関の17番でその豪打を魅せた。新会長の青木も絶賛したティショット。481ヤードのパー4で、わずか113ヤードの2打目をピン2メートルに止めて、2位に2打差をつけた場面。
「あのハーフショットも素晴らしかった。あれはもう一度、やろうと思っても二度と出来ない。見ている人に、勝利を確信させた。あの1打を忘れるな」と、青木は言った。

表彰式で並んで立った池田勇太は、「やっと同じステージに立てたな」と言ってくれた。同い年の幼なじみに塚田は今でも敬語を使ってしまう。「勇太はジュニア時代から俺たちを引っ張り、ツアーではもう14勝もしている選手ですから」。尊敬してやまない大親友の祝福の言葉もまた格別だった。

優勝賞金3000万円と内閣総理大臣賞と文部科学大臣賞と、数々の豪華副賞のほかにも特典として、7月のWGCブリヂストン招待の出場権がもらえる。また今季初戦から、今大会までの日本予選ランク上位2人に贈られる全英切符。
池田との1、2フィニッシュには感無量だが、初のメジャー舞台は「少し気が重い。コースがね・・・」と行ってみる前から贅沢にも顔をしかめた塚田を、青木が叱った。
「躊躇するな。思い切ってやってこい」。青木に尻を叩かれ背が伸びる。
「世界中のメジャーを見てきた私が思うことは、今年の宍戸はそれに匹敵するコースということ」と、世界のアオキが押した太鼓判。「宍戸を制したものは、どこに行っても通用する。そういうセッティングに、私はしたつもりだ。ここであんなに素晴らしいゴルフが出来たのだから。自信を持ってやってこい」。
JGTOの新会長が威信をかけてプロデュースした。2016年度のツアープレーヤーNO.1 の称号を胸に、世界へ羽ばたけ!

※6年連続同一大会で、ジャパンゴルフツアーの未勝利者が初優勝を飾るのは、1981年から1985年に5年連続を記録したカシオワールドオープンを抜いて、1973年のツアー制度後初の新記録でした。

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